日本とクリスマス

文化

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 今年もクリスマスが近づいてきました。クリスマスはイエス・キリストの降誕祭ですが、キリスト教徒でなくても多くの人々が楽しめるイベントとして日本でも定着しています。ChristmasのChristは「キリスト」を、masは「ミサ」を意味しますが、日本で初めてクリスマスのミサが行われたのは1552年(室町時代/天文21年)だそうです。フランシスコ・ザビエルとともに来日したコスメ・デ・トーレスというイエズス会の宣教師が中心となって、周防国(すおうのくに:現在の山口県山口市)に信徒を集めて行った「ナタラ」が始まりと言われます。「ナタラ」とは「クリスマス」を意味するポルトガル語だそうです。

 その後しばらくは鎖国政策によりキリスト教は弾圧されていましたが、明治時代になって徐々に日本中にクリスマスが浸透していきます。俳人の正岡子規(まさおかしき)は俳句の季語にいち早くクリスマスを取り入れました。明治25年の句 、『臘八の あとにかしまし くりすます』 は、「臘八(ろうはち)」という厳粛な仏教行事の後にやかましいクリスマスがやってくるという、皮肉っぽい内容でした。子規はその後もクリスマスについての句をいくつか残しています。明治33年には銀座の明治屋が始めたクリスマス飾りが話題となり、他の店でも取り入れられることが増えていきました。

 第二次世界大戦によりクリスマスは再び影を潜めますが、戦後に復活してからは本格的に一般家庭に広まります。大正天皇が崩御されたのが大正15年12月25日だったことで、昭和22年までこの日は休日でした。クリスマス(教会歴では12/24日没~12/25日没まで)が休日に重なったことが、広く普及するきっかけになったと言われています。明治43年創業の不二家は日本で初めてクリスマスケーキを販売しました。戦後の砂糖、小麦粉の統制が撤廃された昭和27年頃からは販売が強化され、これにより日本でクリスマスにケーキを食べる慣習が定着していきました。

 クリスマスは宗教行事としての意味から変化し続け、これは一部の人々からは問題視されることもあります。1951年、フランスのディジョン大聖堂で、聖職者たちがサンタクロースの人形を鉄格子に吊るし、「異端の象徴」として火あぶりにすることで抗議しようとした事件も起こったほどでした。

 けれどやはり、街がツリーやイルミネーションで飾られ、クリスマスソングが流れ、チキンやケーキを食べて過ごすといった、時代の流れの中で根づいたクリスマスにしか味わえない体験は寒い冬にわくわくさせてくれる魅力があります。

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