ジャポニスム

文化

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 まもなく大阪・関西万博が開催されますね。万博には180年近い歴史があるそうです。始まりは1851年の、イギリスのロンドン・ハイドパークで開かれた「第1回ロンドン万国博覧会」でした。開催の背景には、産業革命によって大きな発展を遂げ 「世界の工場」と呼ばれるようになったイギリスがその国力を世界に示す目的があったそうです。30万枚のガラスを使って建設されたパビリオン、クリスタルパレス(水晶宮)を目玉としたこの国際博覧会には34か国が参加し当時のイギリス総人口の約3/1と言われる、600万人以上が来場しました。

 この成功を受け、その後も万博は度々開催されるようになります。日本が初参加したのは1867年にフランス・パリで開催された「第2回パリ万国博覧会」です。日本は、1853年にペリー率いる黒船が来航するまで200年以上鎖国を続けていた為、欧州にとって謎に包まれた国でした。この万博で幕府・薩摩藩・佐賀藩、商人の清水卯三郎らが参加し浮世絵や磁器などを出品しましたが、初めて見るこれらの品々に欧州の人々は衝撃を受けたと言います。

 日本美術が海外に知られるきっかけになったのは、葛飾北斎の「北斎漫画」が輸出のクッション材に使われていたからと言われていますが、万博参加によってさらに、日本独特な表現や高い技術が広く知られることになり、”ジャポニスム” と呼ばれる熱狂的な日本趣味ブームへと繋がっていきました。

 ジャポニスムの影響が特に大きかったのは美術の分野でした。よく知られるのはマネや印象派の画家、ゴッホ、モネ、ドガなどの作品に見られる日本趣味です。14世紀ルネサンス以降の西洋美術は遠近法や明暗法などを用いた、立体感のある写実的な表現に重きが置かれていました。日本の浮世絵の、くっきりと輪郭線を使った表現、大胆な構図、日常的なモチーフなどは当時の西洋画家たちにとても新鮮に映ったようです。

 そして美術以外でも、様々な分野の作家がジャポニスムの影響を受けていました。アール・ヌーヴォーを代表するガラス工芸家エミール・ガレもその一人です。アール・ヌーヴォーは産業革命による大量生産に反発した、アーツ・アンド・クラフツ運動の影響から誕生した様式で、芸術を通して生活を美化しようとするものでした。機械では作れない、美しい曲線や自然をモチーフとしたものが多く見られ、ガレの作品には日本的な花鳥風月などをモチーフにした作品が多く存在します。

 音楽では、作曲家クロード・ドビュッシーが浮世絵などから着想を得て作曲したことは有名です。1905年に出版された交響詩《海》の楽譜の表紙には、葛飾北斎の浮世絵シリーズ『冨嶽三十六景』のうちの1枚《神奈川沖浪裏》の左半分が転用されています。

 ファッションの分野では、ルイ・ヴィトンの2代目ジョルジュ・ヴィトンがジャポニスムの影響を受けていました。現在でも人気のダミエ柄は日本古来の市松模様、モノグラム柄は家紋からインスピレーションを受けて考案されたものだと言われています。

 ここで書いたのはいくつかの有名な例ですが、ジャポニスムの波及領域は想像以上に広く、他にも彫刻、建築、文学、絵本など様々な分野でその影響を発見できます。

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