てるてる坊主 ~浅原六朗について~

文化

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てるてる坊主てる坊主 あした天気にしておくれ

 子供の頃からなじみの深いこの童謡。この詩ができたのは大正10年だそうです。当時実業之日本社の編集部員だった浅原 六朗(あさはら ろくろう)/ ペンネーム: 浅原鏡村(あさはら きょうそん)が同社発行の少女向け雑誌 『少女の友』に発表した詩です。発表時は「てるてる坊主の歌」というタイトルで4番までありました。

① てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ
もしも曇って泣いてたら 空をながめてみんな泣こう

② てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ
いつかの夢の 空のよに 晴れたら金の鈴あげよ

③ てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ
わたしの願いを聞いたなら あまいお酒をたんと飲ましょ

④ てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ
それでも曇って泣いてたら そなたの首をチョンと切るぞ

という内容だったらしいのですが、大正12年に中山晋平(なかやま しんぺい)による曲がつけられ、楽譜が出版される際「てるてる坊主」と改題され、1番の詩はカットされています。その理由は定かではなく、寧ろ4番の方がカットされそうなほど怖い内容だと言われたりもしますが、明らかに過剰に見える罰は晴れへの懇願をユーモラスに表現しているようでもあります。

 浅原六朗が作詞した童謡はこの一点のみで、その後は主に小説家として活躍します。この頃、社会改革を志向し労働者の厳しい現実をテーマに描くプロレタリア文学が台頭してきた時代でしたが、対向する勢力としてモダニズム芸術を志向する芸術派の運動も起こりました。その中心人物だった中村武羅夫(なかむらむらお)が主催する文芸雑誌『不同調』の同人となるなど、浅原六朗は芸術派の作家として活動しました。「ある自殺階級者」「混血児ジョオジ」などが代表作。昭和5年、「新興芸術派倶楽部」が結成され、新興芸術派の代表的な作家として知られるようになった浅原六朗ですが、後に新社会派文学を提唱し芸術派の作家グループは分裂しています。

 著作は100点に及びますが、現在では入手しにくいものも多いようです。本記事を書くにあたって関連情報を調べていたのですが、過去にセンター試験の問題で浅原六郎作品「青ざめた行列」が使われたらしく、それをきっかけに興味をもったという声が多くあるようでした。試験という、純粋に作品を楽しむ場でなくても面白いと感じさせられる力をもった小説とはどんなものなのか、読んでみたくなりました。

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