メイド喫茶の発祥と変遷

文化

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 外国人観光客にも人気の秋葉原。電化製品、PCパーツ、アニメ、アイドル文化など、その街のイメージはあらゆる側面があり、メイド喫茶もそのひとつだと思います。メイド喫茶というものが話題になり始めた頃は特殊なお店という印象が強かったですが、いつのまにか店舗数も増え、今では観光スポットとしても定着しています。メイド喫茶とはどのように生まれたのでしょうか。起源と言われるのは明治時代まで遡ります。

 明治44年、銀座に「カフェー・ライオン(現在の銀座ライオン)」 というカフェが開業されました。このカフェでは女性給仕たちが、お揃いのコスチューム(和服にエプロン)で接客することが売りとなっていて、このことからメイド喫茶の原型とも言われます。接客の形式として、メイド喫茶のように女性給仕が来店客と直接話をするようになったのは開業からだいぶ経った後、昭和6年頃からだったようです。

 現在のメイド喫茶のより直接的なルーツと考えられているのは、1998年、キャラクターコンテンツ制作会社のブロッコリーがアニメ・キャラクター関連商品の展示会『東京キャラクターショー1998』で出展ブースに設置した喫茶店です。この喫茶店は人気ゲームソフト「Piaキャロットへようこそ!! 2」に出てくるレストランを模したもので、キャラクターのコスプレをしたウェイトレスが接客を行いました。これは当時としては他に類を見ない斬新な企画で、大好評だったそうです。

 同社が経営するキャラクターショップ、ゲーマーズスクエア店でも同様のコンセプトの 「Piaキャロレストラン」を1999年から数回に渡り期間限定でオープン。2000年5月には、常設の店舗となる「Cafe de COSPA(カフェ・ド・コスパ)」がオープンしました。この時は、「Piaキャロットへようこそ!! 2」にとどまらない、コスプレ喫茶になっていたようです。

 2001年、ゲーマーズスクエア店の店舗運営権が、コスプレ衣装などの制作・販売会社コスパに移譲され「Cafe de COSPA(カフェ・ド・コスパ)」は閉店、その後はコスチュームがメイド服に統一された、コスパ経営の「Cure Maid Cafe(キュアメイドカフェ)」へと変化しました。日本のメイド喫茶の第一号と言われます。「Cure Maid Cafe(キュアメイドカフェ)」は ”癒し”の空間をコンセプトとしたカフェでしたが、その後秋葉原に増えていくメイド喫茶は、よりメイドさん自身に重点が置かれる傾向が強くなっていきます。

 戦後、秋葉原は電気街として栄えましたが、1995年放映のテレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』ブーム後、フィギュアメーカーの海洋堂が秋葉原に出店したことをきっかけに同種のショップが多く進出し、アニメ・漫画といったポップカルチャーの街としての色合いが強まっていました。さらに大きく変化していったのは2000年以降。再開発が進み、「オタクの街」と言われた秋葉原がメディアに取り上げられることが増えていきます。

 インターネットの電子掲示板2チャンネルへの書き込みが発端となって書籍化、テレビドラマ化、映画化されたオタクが主人公のラブストーリー『電車男』は一大ブームになりました。このドラマに登場するメイド喫茶は、2003年オープンの秋葉原のメイド喫茶「ぴなふぉあ」(2022年~営業休止中)がロケ地になっています。

 2004年オープンの、現在では秋葉原と大阪合わせて10店舗を構えるメイド喫茶「あっとほぉーむカフェ」から生まれたメイドアイドルユニット『完全メイド宣言』は、2005年 「萌え~」でユーキャンの新語・流行語大賞トップ10を受賞し、話題になりました。

 かつて否定的な印象を持たれがちだったオタク文化が、メディアによって一般に広まったことで徐々に肯定的に捉えられるようになっていき、メイド喫茶の来店客もオタクだけではなくなりました。秋葉原の観光地化が進んだことも影響して様々な層が楽しめるサービスを充実させる店舗が増え、メイド喫茶のエンターテイメント性は進化し続けているようです。

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